山根一純の「伴天風水」デザインで
たてる住宅

【風水のよい間取り】高知城に学ぶ

2023年09月19日

「伴天風水」創設者の山根維随です。

先日 高知に行って参りました。 

年間150棟は建築する

建設会社の社長に会いに行くためです。

 

お昼を大分過ぎましたので折角ですので

高知と言えば名物の【鰹】地元で大評判の

【ひろめ市場】で鰹の藁焼きをいただきました。

感動の一言。これほど美味しい物に出会うことは滅多にありません。  

気を良くした私は辺りを見渡し 

高くそびえ立つ 天守閣の風水が気になりました。

確か【高知城】は 重要文化財7城。 現存する歴史あるお城。

天守閣2.jpg

現存するという事は【風水がいいのでは?】

実際に【風水の間取り】の確認ができるのでは

と思い 検証するため早速上ってみました。  

 大通りから奥に古めかしい 立派な追手門が大きく扉を開けて

迎えてくれました。広大な敷地には

標高44.4メートル 面積約1580平方メートルの高知城。

その木組みや梁の入り方の研究。 

重い門を支える

鉄のヒンジ(蝶番)の止め方に魅入ってしまう程です。

追手門.jpg

追手門を過ぎ次に現れたのは

左右5メートルにも及ぶ

高石垣に囲まれる中を一段一段登り始めると

案内所を発見。 折角ですのでボランティアガイドの方に

案内をしてもらう事にしました。

 

ボランティアガイドさんによると 

『高知は大変 雨が多い土地柄』

『この城には雨水の処理をする石桶と言うものが2か所あります』

『こんなお城は滅多にないんです』

石桶.jpg石桶2.jpg

元気に私の前で階段を登るガイドさん。

きっと私より年上なのではなどと考えていると  

石垣を右に大きく曲がり すると目の前に大きな広場。

三の丸跡地が現れる。

あまりの広さに驚き。

結構広い建物だったことがわかりました。

※三の丸は殿様に近い上級家臣が住んでいたそうです。

 

でもこの三の丸 

【風水的には余り良い環境では無いようです】

 

石垣を更に5メートル程登った上が二の丸になっています。

 

ここは殿様の住居であって常に眼下に城下町を見下していた。

この二の丸の位置も

【風水的に良くない場所です】

石垣.jpg

本丸の天守閣は二の丸の上5メートルの所に高くそびえています。 

天守閣の入口は本丸御殿となっていて そこには来客の為の食事等をする座敷が奥にあります。   

その来客用の座敷を後にして  

いざ! 本丸に登るとボランティアガイドの方が言います。

 

『このように昔のまま天守閣が残っている城は全国で12城です』

『更に本丸御殿が現存している城は なんと!高知城だけなのですよ』

続けて こうお話します。

『しかも!! 二の丸・三の丸の図面も残っています』

 

私は なんと嬉しいお話。 すぐに風水鑑定に入りました。

その図面を拝見すると 伴天風水的に 【殿】に大変良くない。

高知城 配置.jpg

 

だから すぐ私はボランティアガイドに尋ねました。

『殿には良くないですが 山内一豊さんはどうでしたか??』

すると ボランティアガイドさんが

『海の方のお城。長宗我部 元親(ちょうそかべ)が生活されて 

ご自身で築城され 1603年に登城されましたが

入城後 わずか1年程でお亡くなりになられたそうです』

 

『やはりそうでしょうね』 

と、私が言うと

ボランティアガイドは透かさず 

『何かあるのですか?』と問うので

『風水的に殿には良くないのです』と、答えました。

 

『山内 容堂(山内豊信:幕末の坂本龍馬の時代の殿)さんはどうですか』

と更に尋ねると

『44才でお亡くなりになりました。 殿の中には若くわずか15才や

14才で亡くなった方もいます』

と、ご説明くださいました。

実はこの城は風水的に城主には大変不吉なのです。

暗い城の中を幾階も上りながら山内容堂の人生の不運さを

ボランティアガイドの方は細かく教えて下さいました。

 

『容堂はその発言が過激と判断され 

幕府から謹慎させられました』

眼下の小屋を指さしながら

27才の頃から城の南500メートル辺りのあの小さい山の前に蟄居(ちっきょ)

(※江戸時代科せられた刑罰 自宅の一室に謹慎する事)

させられ何年もいらっしゃいました』

 

私はこのボランティアガイドの方は大変知識が豊富な方だと

感謝しました。

 

ふと上階に上がるとそちらが天守閣の最上階でした。

少し古びた 床や柱越しに 眼下に高知の城下町が四周に

広がっています。

回廊.jpg

その日はとても暑い日なので窓からの暗い

質素な空間に入ってくる風が涼しくて・・・。

 

これこそが天守閣の風なのだと少し古い時代に思いを寄せました。

 

素朴で素晴らしい 高知城を出てから 先程の

ボランティアガイドの方から聞いた 

【城主たちの生涯】を調べて見ることにしました。

 

 

高知城は素晴らしい威容のある城でありながら 

風水的に殿には良くない環境だったから 寿命を

調べて資料を作りました。

 

これも現存する 高知城だからできたことです。

 

早速 風水がまぁまぁだった【江戸城】との比較つまり

【風水のよい土地】の鑑定と研究にはいりました。

やはり歴史的にみても【風水のよい土地】【風水のよい間取り】

これが如何に重要か あらためて

【風水の効果】を感じました。

【風水の間取り】【風水のよい家】もっと知りたい方は

【家づくりの勉強会】をおすすめします。

https://www.mokumoku-mura.com/

この記事の執筆者

山根 一純

もくもく村創始者
NPO法人 幸せな家づくり
研究会理事長

山根 一純やまね いずみ

昭和60年4月、環境保全業を立ち上げると、日本でも住環境が注目されるようになり、私は意を決して「もくもく村」を創設しました。健康な生活は住まいからという信念で、当時問題となっていた「シックハウス症候群」を一切排除しようと立ち上がったのです。

元来、日本には春、夏、秋、冬という季節に合わせた先人たちの住まいの工夫がありました。今では生活が便利さを追求するあまり、私たちの身の回りには化学物質があふれ、かつてはなかったような病気に悩まされています。それは私たちの生活の基盤である「住まい」にまで及んでいます。

新築、リフォーム、転居などで、住宅に使用されるホルムアルデヒドなどの化学物質によって引き起こされるアレルギー症状が、今でも私たち、子どもたちを脅かしています。安価で便利な化学物質を使用した工業製品による健康被害をどう解決していくべきかという問題は深刻なのです。

私は、日本の四季に合った、住まう地域に合わせた先人たちの住まいの知恵を取り入れた家づくりに注目しました。森に囲まれた自然環境と暮らしの展示場「もくもく村」を開設したのは、私のそんな思いからなのです。

ご来村された皆さんに、「健康で幸せな家族」になるためには「安心できる家」があってこそ、という思いを共有していただきたいからです。そのために、行っているのが有害な化学物質を一切排除し、工務店では不可能に近いといわれる「完全無添加住宅」のご提案です。

風水デザイン設計で細部までこだわるゆえに、柱の数の多さは、他社と比べてはるかに多い。どこまでも妥協しない家づくりです。住む家族みんなが自然素材の持つエネルギーにつつまれて、心身そのものが本来の健やかさを取り戻します。

さらに「水や木にも心が宿る」言霊を信じている私にとって、住まうご家族のことを思う心を一本一本、新築の木々に念願することによってご家族をお守りすることができることを強く信じております。

このことは科学的根拠という領域をはるかに超えた、哲学的な直観領域です。その直感力を高めてくれるのが「私たちはおおいなる命の循環の中に在る」ということを常に感じさせてくれるこの地の大自然です。

「もくもく村」は、大地の匂いのする家づくりを皆様にご体感していただける唯一の森の中の総合展示場となっています。